もねろのダラダラ日記

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「角を曲がる」から考える自分らしさ

 2018年9月14日に上映された映画『響 -HIBIKI-』の主題歌である「角を曲がる」から自分らしさとは?を考察します。

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歌詞

みんながおかしいんじゃないのか
自分は普通だと思ってた
でも何が普通なのか?
その根拠なんかあるわけもなくて
もう誰もいないだろうと思った真夜中 こんな路地ですれ違う人がなぜいるの?
独り占めしてたはずの不眠症が 私だけのものじゃなくて落胆した
らしさって一体何? あなたらしく生きればいいなんて
人生がわかったかのように 上から何を教えてくれるの?
周りの人間に決めつけられた 思い通りのイメージになりたくない
そんなこと 考えてたら眠れなくなった
だからまたそこの角を曲がる
 
星空さえも中途半端だ 街の明かりが明るすぎて
明日が晴れようと雨だろうと 変わらない今日がやって来るだけ
本当の自分はそうじゃない こうなんだと
否定したところで みんな他人のことに興味ないし… えっ
なんで泣いてんだろ?
だって近くにいたって誰もちゃんとは見てはくれず まるで何かの景色みたいに映っているんだろうな
フォーカスのあってない被写体が泣いていようと睨めつけようと どうだっていいんだ
わかってもらおうとすればギクシャクするよ
与えられた場所で求められる私でいれば嫌われないんだよね?
問題起こさなければ しあわせをくれるんでしょう?
らしさって一体何? あなたらしく微笑んでなんて
微笑みたくないそんな一瞬も 自分をどうやれば殺せるだろう?
みんなが期待するような人に 絶対になれなくてごめんなさい
ここにいるのに気づいてもらえないから
一人きりで角を曲がる Ah Ah Ah Ah 

角を曲がる という行為


日常において角を曲がることが意識無意識的にあると思います。曲がるという行為は今現在進んでいる道から外れ新しい道へ進む

つまり自分の意図する状況から外れるのを避け、別の方法でも目的を達成したいという心情に基づいています。この曲では自分の行きたくない見たくない状況を回避するべきかどうかを葛藤した様子を表しています。

 

歌詞の意味を考えてみる

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みんながおかしいんじゃないのか
自分は普通だと思ってた
でも何が普通なのか?
その根拠なんかあるわけもなくて

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自分はマトモだと思っていた主人公 しかし、振り返ると大した根拠はなくて

今まで自分を保っていた自尊心が崩れていく様子を感じ取っている主人公。

 

次の歌詞の

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もう誰もいないだろうと思った真夜中 こんな路地ですれ違う人がなぜいるの?
独り占めしてたはずの不眠症が 私だけのものじゃなくて落胆した
らしさって一体何? あなたらしく生きればいいなんて
人生がわかったかのように 上から何を教えてくれるの?
周りの人間に決めつけられた 思い通りのイメージになりたくない
そんなこと 考えてたら眠れなくなった
だからまたそこの角を曲がる

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 真夜中の路地を歩くという何気ない行為も主人公にとってはらしさだと思っていた、でも他にも人が居る事に気づき自分の「らしさ」の定義が崩れて行きます。

 他者からは外面的なイメージなどから作られた根拠のないイメージ

そんな色には染められたくない主人公は、それを拒絶(角を曲がる)します。

 

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本当の自分はそうじゃない こうなんだと
否定したところで みんな他人のことに興味ないし… えっ
なんで泣いてんだろ?
だって近くにいたって誰もちゃんとは見てはくれず まるで何かの景色みたいに映っているんだろうな
フォーカスのあってない被写体が泣いていようと睨めつけようと どうだっていいんだ

----

自分自身の人間性を主張したい主人公ですが、周囲は他者のことには興味がなくシッカリと理解してくれる望みが薄い事に気づき涙します。

 

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わかってもらおうとすればギクシャクするよ
与えられた場所で求められる私でいれば嫌われないんだよね?
問題起こさなければ しあわせをくれるんでしょう?
らしさって一体何? あなたらしく微笑んでなんて
微笑みたくないそんな一瞬も 自分をどうやれば殺せるだろう?
みんなが期待するような人に 絶対になれなくてごめんなさい
ここにいるのに気づいてもらえないから
一人きりで角を曲がる Ah Ah Ah Ah 

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他者(親や友人など)は自分らしさが大切だと言いますが、他者が言うらしさは主人公にとっての「らしさ」ではなく型にハマったイメージしかありません。

しかし、そこに反抗し自分らしさを主張すると争いになってしまう。だから反抗心を持ちながらも、自分を封印し他者がイメージする通りの傀儡として生き続ける。

 

そんな歌詞でした、ここにMVを重ねると

 

MV考察

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 観客の目を気にしていなければ軽やかに踊れるコレが自分の理想なのでしょう、空想の世界なのか外の世界を拒絶しているのか… しかしながら20秒から動きが可笑しくなります。

34秒から出現する人混みに飛び込み身を委ねます。しかしながらその中にはファンだけでなくアンチも存在し、その状況に傷つき「自分らしさ」もわからなくなりステージ裏へと逃げ込みます。

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 46秒では自分(平手)を崇拝する人達、そして世間の荒波を表現しているのではないでしょうか?

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  進むと自分たちが考える「らしさ」を押し付け操ろうとしてくる人たち

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 他者が用意した型を押し付けられ疲れ果てても尚も多くのアンチには叩かれます。 そんな波に揉まれながらも相手を跳ね除け逃げますが、どんなに逃げて多くの人が興味を持たなくなっても一部のアンチは執拗に追いかけ叩いてきます。

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  そして、また多くの人に型を押し付けられそうになり逃げ惑い

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 行き着く先は鏡の前

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 皆の型にハマって生きてきた自分と相対し問いかけます。「らしさ」とはなんなのか?

 ここは角つまり型にハマり続けるか「らしさ」を見つけるかの分岐点でもあります。

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  MVではココで多くの人によって作り出された虚像を壊し自分の理想と対面します。

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  型にハマった側はぎこちないダンスをする一方で理想の自分は軽やかに踊る。

そして泣き崩れる主人公に理想側が微笑みMVは幕を閉じます。

 歌詞にもありましたが

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微笑みたくないそんな一瞬も 自分をどうやれば殺せるだろう?
みんなが期待するような人に 絶対になれなくてごめんなさい

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 虚像を壊し葛藤しながらも世間の理想と自分の理想の狭間に挟まれ、もがき苦しみ結果的に自分の理想を捨てることは出来なかったという結果なのではないでしょうか?

 私達が見ている平手友梨奈はアイドルとしての平手友梨奈であり、「アイドルらしさ」が作り出した虚像にすぎないのかもしれません。

 

  角を曲がるは「黒い羊」までの流れをくんだものとあってか近しいものも多くありましたね。

 

まとめ

殆ど歌詞・MV考察となってしまいましたが、このような状況はアイドルだけに当てはまる事ではないと思います。

多くの人が二面性を持ち時には「自分らしさ」を求め苦しむ経験はあると思います。しかし「らしさ」とはその時々によって変化し、そこに合わせて適合していく必要もあるのではないでしょうか??

一部では二面性がある事をタブーとする風潮がありますが私生活での「らしさ」と社会での「らしさ」は多くの人が持っており何らおかしな事ではありません。

 

大切なのは自分の理想とする「らしさ」をベースにし周囲の求める理想に迎合することなく合わせていくことが大切なのでしょう

 

「角を曲がる」はそんな人生のあり方を教えてくれる曲だと思います。

引用元YouTube